世田谷の地は大化の改新後、大国魂神社の近くに国府が置かれた事により

品川湊とを結ぶ物資の輸送路が通過していたという。

その後、鎌倉時代に吉良氏が領地とし、

戦国時代には扇谷上杉氏と後北条氏のあいだで攻防戦が繰り広げられる。

江戸時代になり平和な時代がくると井伊家の彦根藩が所領地とする。

それらの時代を通じて大場氏(初代は吉良氏に仕えた大場信久)

常に世田谷の地を「納め」続け江戸時代には代官に任命され

世田谷代官屋敷(写真)を作ることになる。

その背景にあるのは戦国時代から続く「大名」と「在地領主」の関係性。

「戦国」の世と言われながらも「支配する者」と「支配される者」のあいだに

あった「決まり事」とは?

そして「招き猫伝説」の由来となったのかもしれない戦国時代の戦いとは?

それらの事を2月18日の散歩会で解説いたします。

http://www.charapoko.com/sanpokai/ksj170218

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サイガ
サイガ
戦国時代の城郭、倭城、幕末の台場、外国の要塞の観察や古今東西の古戦場を歩く事で戦争・戦闘は「地形」「街道」とリンクする事を考察。縄張図も描きます。「人間万事塞翁ヶ馬」「独り虚しく犬死」が信条。「散歩カフェちゃらぽこ」にて講座の講師や散歩会のガイドとして活動中。