ちゃらぽこ・ぱきらです。5日日曜日は、西股総生氏ガイドによる「土の城を歩く『町田・小野路城』散歩会」でした!

午後から雨の予報で当日までお天気の分からない不安な1日でしたが、幸い雨もほとんど本降りにはならず、この時期にしてはそこまで寒くもなく、無事に終了いたしましたー(^^)

集合場所は、町田市の北部にある小野神社。すぐ脇を旧鎌倉街道が通り、古くから交通の要衝だったことがうかがわれる地域。そこらへんは小野路宿という宿場があり、新選組の支援者としても知られている多摩の名主、小島鹿之助の生家もすぐ近くです。

現在では希少になってしまった多摩の谷戸田の景観が残るのどかな場所なのですが、駅からちょっと遠いのが難点です(^^; そんなロケーションの上に降水確率80%くらいというドキドキの条件のもと、集まってくださった参加者さんと20名の城跡探検隊で、小野路城に討ち入ります!!

小野神社の脇の道から、小野路城に乗り込みます

舗装路をしばらく行くと、すぐに谷戸田の風景が目の前に広がります。いまは季節柄、草ばかりですが、不揃いの大きさの田んぼが狭い土地に並んでいます。

谷戸というのは丘陵地が川の流れなどによって削られた、丘に挟まれた谷間です(←この地形条件、これから訪れるお城にとってはとても重要です!)。もともと水の流れがある場所なので、お米を作るのに適した条件ではあったのですが、平地部分が狭く形も不揃いな棚田になるため重機が入りにくく、維持が難しく現在では希少になっているとのこと。

ここ多摩丘陵にはこういう土地がちょこちょこありますが、ほとんどが宅地化されて小野路のような谷戸田の風景はあまり残ってはいません。そのような場所だから、これから向かう城跡が迷路の中の幻の城みたいにぽっかりと残されているのですね。

田んぼのあぜ道のような一本道を100メートルばかり歩いて、目指すのは正面の小山の上です。

希少な多摩の谷戸田の景観です

平地は突如として終わり、急に険しい上り坂になります……(^^; 道はしっかりあるので歩けないことはありませんが、一人で入るのにはちょっと勇気がいるかも(^^;

けっこうキツイです!!

で、これを登った先。また突然、視界が開けますと……。

「はい、お疲れさまです! ここが小野路城です!」と西股さん。

いきなり目的地に到着してしまいました!!
が、城跡探検はここからです。

しかし早くも登り坂に息を切らす一行に、西股さん。「疲れたでしょ? 疲れるように作ってあるんです。疲れたのは、築城者の思うツボにハマったということです」

簡単にお城の中心にアクセスできちゃ困りますもんね……。

平らになっている狭い土地の端には、空堀の跡が残っています。言われてみれば、両側の地面が少し高くなっています。築城当時はもっとずっと深くて、2メートルくらいは埋まっているのではないかとのこと。

堀の中の西股さん

立っている地面の位置よりも高かったり低かったりする部分が、断続的に横につながっているのは、空堀や土塁の跡。自然に埋まったり崩れたり、あるいは後の時代の人が行き来するために埋めたり壊したりしていますが、表面を少し擦ってみると分かるとか!?

ここら辺は関東ローム層の赤土エリアなので、赤い土が出てきたらもともとの地面。黒土は、その上に後から枯葉などが積もって埋もれた部分……だそうです。

地表をちょっと擦ってみると

赤い土がすぐに見えるのが、もともとの地面

 

なるほどー! と納得するものの、自分で見分ける自信はまったくありません!(><)

(※ 心のきれいな人には土塁や堀が見えるそうです)

そして、本丸(このころのお城では、「主郭」と言います)へ。さらに少し林の中の傾斜を登ると、また突然、目の前に神社の小さな鳥居と祠が現れました……!!

突然神社!

なんと唐突に。配られた縄張図には確かに神社マークが載っていますが、少し下から見た時はまったく分かりませんでした。距離もさほど離れていないし、ものすごく登ったわけでもないのに、です。

「当然のことです」と、満足そうな西股さん! この場所の様子が下から見えてしまったら、困るのですから。すごーい! 本当に、うまい具合に作ってあるのですね。(なんだかその実験のために置いたみたいな神社ですね! びっくり)

一方神社のある場所からは、先程いた場所が一望できます。今は木がちょっと邪魔ではありますが。接近してくる敵の様子がまる分かりですね!

登ってきた道

いきなり主郭を堪能してしまいましたが、お楽しみはこれからです。

この小野路城、多摩丘陵の自然地形を利用し、まるで迷路のように作られています。そしてその尾根を途中に堀切が築かれ、城と外とを分けているのですが、そこまで行くのがけっこう大変! 何しろ迷路だから!

縄張図を見ながら歩いていても、どこにいるのか分からなくなります(^^; 西股さんや詳しい参加者さんたちにたびたび教えてもらいながらも、ぱきら迷子。

小野路は、手のひらのように広がった尾根が四方から集まる中心地。しかも尾根は少しずつ曲がって方向感覚を狂わせます。そうしてたまに現れる分かれ道。「どちらも同じ場所に着くけれど、右に行くか左に行くかで運命が変わります」と西股さん。片方は歩きやすい道で、もう片方は……ってこれ、完全にダンジョンですね(^^;

「ここが運命の分かれ道。どっちに行く?」

尾根伝いにやってくる敵は、慣れない土地ではなかなかお城の中心部に近づくことができません。

さらに道の脇には崖とか谷とか。そして……

谷間

「あ! これはリアル逆茂木」と指さす西股さん。

リアル逆茂木(※ 倒木)

逆茂木(さかもぎ)とは、切り倒した木を並べてバリケードにしたものですが、お城を作る際に伐採した木を再利用するため材料費はタダで、効果はとても高いそうです。

「これがずらーっと並んでたら、絶対にここ登れないでしょ!?」

あまりに嬉しそうな西股さんの様子に、「西股さん、先に来て仕掛けておいたのでは!?」疑惑浮上。

そうこうしながらじっくりと見て回り、山城を堪能して人里に下りてくるころに少しだけ雨が降り出しました。

いや、広かった! 大きかった! けっこう歩いた! 迷った! お城攻めるの、とてもタイヘン!

小野路城、面白かったです。

にしても、こんな都会に近い場所に、こんなに大きな城跡が残っているなんて、びっくりです。

この城跡、関東の研究者には知られたお城ですが、マニアでもほとんど来ることはないのだとか。
大きさの割に、「これ!」という見どころがないせいか?と西股さん。たしかに掘割や土塁がしっかり残っているわけではなく。

さらにはこの小野路城、だれが何のために作った城なのか、はっきりしたことが分からないそうです。長尾景春の乱の史料に「小山田」という記述が出てくるものの(ここらへん一帯、「小山田」と呼ばれていました)、それがこの小野路城なのか、1.5キロほど離れたところにある「小山田城」のことなのか不明なのだとか。

そういったところで観光的にも宣伝しづらくてマイナーなのかなぁ。今回は西股さんの案内あってのことですが、そこここにほんのり残る遺構と「城攻めタイヘン」感と迷宮っぷりが楽しかったので、知られていないのはちょっともったいない気がします。

(でも観光客がぷらりと来たら、遭難しそう。)

解散前。雨が本降りにならない隙に、「ちょっとおまけで面白いものを見に行きます」と、やってきたのは、小野路城から旧鎌倉街道を挟んだ反対側にある、布田道・関谷の切り通し。

布田道・関谷の切り通し。かっこいい!

そこから少し入ったところに、二本の堀切と、それに挟まれた小さな廓が残っているのです。人が数人入れるか? というくらいの狭い空間です。

二本の堀切に挟まれた小さな廓?

これは小野路城の一部ではなく独立したものですが、一種の切所(迎撃のポイント)か?とのこと。こういう場所が、もしかしたら戦国時代にはそこらへんにちょこちょことあったかもしれないそうです。

ここといい、小野路城といい、いわれははっきりとは分からない。というか、土の城の跡は全国に3万もあるものの、その9割方は来歴がはっきりしていないそうです。

それを言うと道端の石造物などにも同じことが言えますが、歴史上のどういう人物がどの出来事のときに作ったのかは分からないけれど、そういうことをすっ飛ばして、どんな意図で何を考えて作ったのかは分かるというのは、凄いことだし素敵なことだなーと思います。

技術は発展しても、人の目指すものだとかやりたいことだとか、そのための方法といったものはあまり変わらず、500年前の誰とも知れない人がこの場所で考えていたことがおぼろげながらも伝わってくる。そんなことを想像しながら歩くのも楽しいですね!

次回の西股総生氏ガイドの散歩会は、5月、朝霞(埼玉県)の岡城と赤羽(北区)の稲付城の2本立てを計画しています。ふたついっぺんに行くと、とっても面白いお城なのだそうです! 詳細はあらためてお知らせいたします。よろしくどうぞ(^^)

小野路城にご参加くださった皆さま、ありがとうございました!!

 

なお、戦国時代の城について入門編から詳しく学ぶには、西股氏の著書がお勧めです!(^^)

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この記事の投稿者

ちゃらぽこ・ぱきら
ちゃらぽこ・ぱきらちゃらぽこの中の人
散歩&歩き旅が好き過ぎて、「散歩かふぇ」を作ってしまいました。東京・東高円寺の「散歩かふぇちゃらぽこ」店主です。街道歩きとか、東京散歩とか、古地図散歩とかしてます。庚申塔と子連れ狛犬と看板建築とラーメンが好物です。