織田信長を語るうえでかかせない「信長公記」(以下「公記」)。

著者の太田牛一は信長の生きた時代の人で、しかも常に信長の近くにいた人物。

信長が合戦をするにあたり、戦いの前にしていた意思を見て聞いていた人物で、

「公記」を詳細に読み解くと行間に信長の意思を感じ取れると私は考えます。

「桶狭間合戦」の前夜、「公記」に信長は・・・

『其の夜の御はなし、軍の行は努々これなく、色六世間の御雑談までにて、

既に深更に及ぶの問、帰宅侯へと、御暇下さる。』

と作戦会議はせず「御雑談」をしていたということになります。

この時の信長の意思は?

20年間、日を決めては詳細に現地を歩いてきた私には「地形」の情報は

誰よりも持っていると自負しています。

そして重要なのは戦国時代の合戦のセオリー。 

文章記録が残っているわけではないが戦国乱世が何十年と続いた時代、

下層にいたる一人一人の人間が戦いの蓄積を持っていて共通認識を持っていた時代。

それら地形情報と合戦のセオリーを土台にして「公記」を読み解いて、信長の意思を

自分なりに考えていた頃、現地の歴史研究者の本を読むことで私は「桶狭間合戦」に関して

「確信」ができました。

やはり答えは地形にある・・・

そのような私の考えを1月24日に現地の写真を見てもらいながら解説させてもらいました。

1月28日には再度「桶狭間合戦」について語らせていただきます。

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この記事の投稿者

サイガ
サイガ
戦国時代の城郭、倭城、幕末の台場、外国の要塞の観察や古今東西の古戦場を歩く事で戦争・戦闘は「地形」「街道」とリンクする事を考察。縄張図も描きます。「人間万事塞翁ヶ馬」「独り虚しく犬死」が信条。「散歩カフェちゃらぽこ」にて講座の講師や散歩会のガイドとして活動中。